2024年8月15日の「終戦の日」にあわせて行われた、「なごや平和フォーラム」に、名古屋の若者世代を代表し、弊社代表取締役の松井健斗が登壇いたしました。

以下は当日の様子と松井よりコメントです。


本日は〝終戦の日〟
先日は名古屋市が主催する
「なごや平和フォーラム」へ
名古屋の若者世代を代表し
登壇させていただきました。

戦後79年目の夏。

普段〝学生、若者による故郷へのアクション〟
として「カナメヤ」や役者として
日々をしっかりと取り組んでいます。

そんな中でも〝戦争〟についても
学生時代には取り組む分野の一つとしていました。

今の時代、この時代を笑って過ごせているのは
あの時代に命をかけて守ってくれた方々がいたから。

だから今がある。
そんなことを忘れてはいけないと。

そんな中で高校や大学時代には
岐阜県高山市に居たじいちゃんやばあちゃんに
昔のことを聞くことをしていました。

じいちゃんの部屋にあった「双眼鏡」
かっこいいなーっていつも触っていたところ
「〝けんちゃんにあげるよ〟」
その言葉で何も考えずにもらった双眼鏡。

じいちゃんが亡くなってから聞いたのは、
この双眼鏡は戦争中に持っていたものでした。

そんな大事なものを僕にくれたんだと。
意思、想いを紡いでいくのが我々の使命。

そんなことを思って当日は
その双眼鏡を手元に登壇をしました。

ばあちゃんは広島から疎開してきて、
この東海の地でじいちゃんの出会いました。

じいちゃんは戦後にシベリア抑留となり
壮絶な地で日々を過ごしていました。

ばあちゃんとまた会うために。
そして無事に帰ってきてくれて、
父が産まれ、そして今の僕がいます。

ばあちゃんのお兄さんは戦艦大和の乗員でした。
あの時代、日々のことを鮮明に教えてくれました。

そんな経験があって、10年前の大学生の頃
「ナゴ校」と言う学生団体の代表をしている時代に
〝俺たち若者も戦争についてちゃんと向き合おう〟
そんな想いから色んなアクションもしていました。

そんな日々から10年の月日が経ち、
偶然にも東邦高校の子たちが昨年相談に来てくれたのが
「名古屋に平和の日を制定したい」でした。

色んなパズルのピースや運命が重なって、
このお話しに至りました。

当日は若者が考える戦争と戦後。
そして現代と未来ついてを届けて参りました。

忘れずに紡いでいくことが我々の使命。
あの時代をこれからも忘れずに歩んでいこう。

今回ご一緒に登壇させていただいた
河村たかし名古屋市長はじめ

「世界がもし100人の村だったら」再話者
ドイツ文学翻訳家の池田 香代子 さん

名古屋空襲を体験された望月さん

名古屋空襲の犠牲者を追悼する日(仮称)
協議会会長の東海中学高校副校長の西形さん

名古屋市役所
総務局企画調整担当局長の武田さん

本当にありがとうございました。

株式会社カナメヤ代表取締役CEO 松井健斗